
1.十字架は極限状態(32-39)
キリスト教のシンボルの十字架は、実は恐ろしい死刑の道具。それも、激痛と呼吸困難による極限状態の苦しみを、何時間も何日も、体力が尽きるまで味わい尽くさせる最悪の死刑。極限状態では人の本性がむき出しになり、貼付けにされた人は、わめきちらすのが当たり前。
2.態度を変えた犯罪人(40-42)
他の福音書を見ると、犯罪人たちは最初は二人ともイエスをののしっていた。ところが一人が途中で態度を変え、イエスをかばいだした。彼は最初はイエスを偽キリストと思ったのに、途中から本物と思うようになったということ。なぜなのか?彼はイエスのすぐ隣にいた。余裕のない極限状態で、イエスは自分を釘で打ち付け着物をくじで分け合う兵士たちのためにとりなしの祈りをするのを聞いた。その真実な態度から、イエスの心は聖く偽りがなく、本当に神の子キリストなのだと信じたのだろう。
3.救いの約束(43)
最悪の死刑に処せられる人殺しでも、ついさっきご自分をののしった者でも、主イエスはご自分を信じる者を救われる。この二人の死刑囚は象徴的に人類の代表になっている。主を信じる者はパラダイスに行くことが約束され、主を信じない者は永遠の滅びに向かおうとしている。まだ生きている間は救いの可能性がある。息のある間に、主を信じ救っていただこう。
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1.逃げ出したところに帰る(18-23)
モーセは神のご命令に従う事にした。そこでまず妻の父イテロにいとまごいをする。イテロはこころよく送り出してくれた。また、エジプトではモーセの殺人罪の時効が成立したことを教えてくださった。神はモーセを正しい道へと導くため、事態を動かしておられる。
2.棚上げしていた課題を果たす(24-26)
モーセはおそらく急病で死にかける。なぜせっかく使命へと向かうモーセを、主は殺そうとされたのか?妻のチッポラはためらわずに息子の割礼を行うので、これが問題であったようだ。モーセはユダヤ人として8日目に割礼を受けていた。自分の息子にも割礼をほどこしたかったが、ミデヤン人の妻はそれを拒んでいたようだ。神に従おうとしているのに「この事だけは自分流で」とごまかしがあれば、命取りになるかもしれない。
3.ひざまづく礼拝(27-31)
モーセとアロンはイスラエルの長老たちをみな集めることに成功した。おそらくアロンに人望があったのだろう。モーセとアロンの語る神のことばと、モーセの行ったしるしは長老たちの心に訴え、彼らはひざまづいて礼拝した。ひざまづいての礼拝は、主の隣在を深く意識した行動。長老たちはモーセといっしょにパロに嘆願しようと決断した。この礼拝は、イスラエルが出エジプトへと向かう記念碑的な礼拝となった。
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1.「信用されていない」(1-9)
モーセは神のことばを聞いても、不安でならない。彼の不安感は私たちにもある。すでに信用を得ている人々ならば信じてもらえると期待できるが、信用を得ていない人々に語っても無理だと。神は彼の不安に応え、奇跡を起こして神の力を見せ、確かに神のことばを告げているという根拠を示すよう命じた。私たちにも奇跡の書、聖書が与えられている。
2.「ことばの人ではない」(10-12)
神の奇跡の力が与えられても、モーセは不安でならない。「自分はうまく語れない」と、神の偉大さより自分の弱さをのほうがより重大問題だと思ってしまう。彼がことば巧みでないことを神は知らないのか?そんなことはあり得ない。神は語るべき事は、語るその時、リアルタイムで教えると約束された。この約束を信じれば、誰でも勇気がわく。
3.「他の人を」(13-17)
モーセはそれでも不安でならない。この不安は、知的な理解では消せない。おそらく彼は挫折経験から「自分はエジプトには戻らない」「自分でなく別の人」、と心堅く決心してしまっている。つまり彼は神のことばではなく自分の信念を優先している。これは信仰の問題。何を一番信じるのかという問題なのだ。神は最初からモーセの兄アロンをモーセの代弁者として用いる計画をたてておられた。神に信頼して、そのことばに従おう。
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1.イスラエル人に言え(12-15)
モーセは主の命令を実行するとどうなるかを、心の中で思い描いた。すると、自分に命じる神のことを、きちんと説明できるかという心配が湧いてきた。率直に尋ねると、主は語るべき事を教えてくださった。名は「主」。その名の意味は、「ある」すなわち存在そのもの。この神こそアブラハム・イサク・ヤコブの仕えた神であった。
2.長老たちに言え(16-17)
イスラエル人は多数なので、民全体に神のことばを届けるためには、長老たちが伝える必要があった。また、民の代表としてエジプト王の前に出るときにも、長老たちの後援が必要だった。長老たちが、モーセを通して語られる神の言葉を信じるかどうかは、出エジプトの成否を握る大切な課題。そこで民全体に語るのとは別に長老たちに語る事が命じられていた。
3.エジプトの王に言え(18-22)
民と長老たちが神のことばを信じたなら、エジプト王に語りにいく番になる。しかし、「聞き
従う」と約束されている民と異なり、エジプト王は強いられなければ従わないと神は予告する。そのような相手のところに語りに行くというのは、レベルの高い課題。だからまず聞いてくれる相手に語ることからスタートするように神は命じられた。私たちもこの順に語ろう。まずは兄弟姉妹に自分のあかしをしよう。そうして整えられて、神を無視している人々のところにも出て行って語る時に備えよう。
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