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礼拝メッセージ(2008年5月)

神である主は、人に呼びかけ、 彼に仰せられた。 「あなたは、どこにいるのか。」(創世記 3:9)



2008年5月25日

高松和代伝道師
聖書箇所:マルコの福音書 8章27節-9章1節
宣教題:「救い主イエス」
高松伝道師

1.主イエスの質問(27−28)

ピリポ・カイザリヤ、偶像と皇帝崇拝の町にあえて弟子たちを連れ信仰告白に導かれる。そこで始めての信仰告白がペテロによって語られる。イエスこそキリストである。それはいつの時代も偶像と世の権威の中で信仰告白がなされることを示している。マルコの読者が直面していた皇帝ネロの下でも、私たちの時代も主は明確な告白を求めておられる。

2.ペテロの告白(29-30)

主はご自身について人々の見方を聞かれる。それは多様であったが結局は預言者、来るべきお方ではない。次に「あなたがたは」と尋ねられる、それは彼らが主に選ばれて主を知らされてきたから。そしてペテロが告白した「あなたはキリスト」、神から油注がれた救い主、私の救い主と告白することこそ、信仰の要、主イエスが求められていることであり、私たちの救いになる。

3. キリストによる恵み(31-38)

キリストがどのように救いを成し遂げられるのかが語られる(31)。「人の子が捨てられ、殺され、よみがえられる」と。救い主によってなされる御わざは世の期待、私たちの思いや期待と異なる。それゆえに葛藤や戦いが生じる(32,33)。しかしあえて主のなしてくださった救いを喜び、自分を捨て信じて従うなら、いのちを得る(35)。私たちのいのちは高価なので誰も買い戻せない(37)。神の御子イエスのいのちだけが買い戻せる。私のいのちを尊び、惜しんで死んでくださった方にとどまることは大きな恵み。喜びとなる。


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2008年5月18日

國分広士牧師
聖書箇所:コリント人の手紙第一 1章1節-5節
宣教題:「最も大切なこと」
國分牧師

1.福音の最も大切なこと(1-2)

大切なことは色々あるが、その中でも「これだけはゆずれない」という事がある。福音すなわち救いの教えにおいて最も大切なのは十字架と復活。これをよく理解して信じ続けるなら必ず救われる。

2.十字架(3)

神は全知。心ひそかに抱く罪深い思いも全て知っておられる。また神は聖いお方で、一片の罪も受け入れることができないので、私たちの犯した全ての罪に対して正当な裁きを要求する。しかし、同時に神は愛の方であわれみ深いので、滅ぼすより救いだしたいと考える。裁くべきものを救うために、その裁きを身代りに受けたのが十字架。そこには神の義と愛が示されている。

3. 復活(4-5)

イエス様は完全に死んで、その後に復活した。これによって、いのちを支配するお方であることを公に示された。彼こそ人を活かすことも殺すこともできるお方。もし「死ねば全ておしまい」ということなら、「死」こそ最強の支配力をもつことになるが、イエス様は死をも滅ぼす全能のお方なのである。私たちもやがて死を迎えるが、それでおしまいではない。全ての人は死から復活させられて神の前に立たされ、裁きを受ける。その裁きの結果はもう決まっている。主イエスを信じる者は永遠のいのち。信じない者は永遠の滅び。主イエスを信じよう。


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2008年5月11日

國分広士牧師
聖書箇所:使徒の働き 2章1節-47節
宣教題:「神の力で満たす方」
國分牧師

1.約束の助け主の登場(1-11)

イエス様はやがて助け主の聖霊が来られることを予告していた(1:8,ヨハネ14:16-17)。聖霊はイエス様のように人間にはならず、神の霊の状態のままで来られた。それで、人間の目には姿は見えないが、聖霊がおられることは現象によって明確にわかった。第一の現象は、弟子たちが他国のことばでみことばを語りだすという誰の目にも奇跡とわかる現象だった。

2.聖霊に励まされてみことばを語る弟子たち(12-36)

第二の現象は、臆病だった弟子たちが、多くの人々に向かって勇気を持って主イエスをあかしし、伝道したこと。イエス様が逮捕され裁判にかけられた時、弟子たちはみな逃げたことを思い起こすと、大きな変化。聖霊によって確信・喜び・情熱・勇気が与えられてこそできたこと。特にイエス様の死の原因を「あなたがた」と言うのは大きな勇気。

3. 主イエスを信じる信仰に導く聖霊(37-47)

第三の現象は人々の反応。イエス様を「十字架につけろ」と叫んだ人々が、心を刺されてへりくだり「どうしたらいいのでしょう」と尋ねる様子は、通常では考えにくい。また信じてから、弟子同士の間に家族的な親しさが生まれたことも。聖霊は共にいてくださり、必要を満たし愛を満たして励まし、みことばの宣教を実現させてくださるお方。信仰こそ聖霊のしるし。


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2008年5月4日

國分広士牧師
聖書箇所:ヨハネの福音書 1章1節-18節
宣教題:「人となられた神」
國分牧師

1.神である主イエス(1-5)

創世記1章で、神はことばで世界を創造された。「ことば」はイエス様のこと。神であり、初めからおられ、全てのものを造った方。イエス様は単に偉大な人というだけではなく、まさに神。神だと思いこまれたり、神に祭り上げられたのではなく、本当に神だと書かれている。

2.人となった主イエス(9-14)

神であるイエス様が人となられた。決して、人であるイエスが神の領域にまで昇格したのではない。人に神が乗り移ったのでもない。人間の姿をしているだけで中身は神というのでもない。イエス様は人になられた神なのである。

3. 恵みを与える主イエス(15-18)

神は見えない存在であり、私たちの理解を超えている。しかしイエス様は人間になられたので、私たちに身近な存在になってくださった。イエス様は生身の肉体を持っていたので、腹も減れば眠くもなる。十字架を控えたゲッセマネの園の祈りでは、恐れも感じ、天使が励ましている。励ましを必要とする普通の人間の性質を持っておられたのだ。しかし同時に主イエスはどこまでも心が聖くて愛に満ちている。十字架の上でも人をとりなし、愛の言葉をかけ、ののしったりわめいたりしない。神とはそういうお方なのだ。この私に対しても忍耐強く愛し、救いに導き、やがて天の御国まで導き続けてくださるお方。恵みの上に恵みをみたしてくださるのである。


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