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礼拝メッセージ(2007年11月)

今月のみことば
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ4:32)



2007年11月25日

國分広士牧師
聖書箇所:ヨハネの福音書 3章17節-21節
宣教題:「世に来られた光」
國分牧師

1.さばくためではなく(17)

イエス様は人となられた神の御子。父なる神が御子をこの世に遣わされたのはなぜか?世が乱れているので世直しをする為か?否、聖書には「世をさばくためではなく」とある。イエス様はご自分が身代わりになって、さばきを引き受けるために世に来られたのである。だから御子を信じる者は神のさばきを受けない。イエス様は罪を自覚する者にとって光である。

2.やみを愛するというさばき(19)

「世直し」の前に、「自分」が直されないと、神のさばきの時に滅ぼされる。しかし自分の行いの悪さを認めたくない人は光よりやみを愛する。全てが明かされることを恐れるから。病名を知らされない方がいいと思うようなもの。しかし、やみには何の解決もない。光で全てを明らかにした方がいい。

3. 真理を行う者(21)

イエス様こそ真理。真理を行う者とは何かこの世で評価される大きな事をするという事ではなく、イエス様を信じる者のこと。それは天では高く評価される事なのだ。しかし自分だけで信じたのではなく、神の助けを受けて信じることができたと思うので、いかに神の助けがすばらしいかを証ししたいと願う。それで光のほうに来る。光とやみのどちらを選ぶかはあなた次第。光であるイエス様を信じ、救って下さいと自分を明け渡そう。



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2007年11月18日

國分広士牧師
聖書箇所:エペソ人への手紙 5章1節-21節
宣教題:「主に喜ばれること」
國分牧師

1.愛されている子らしく(1)

私たちが良い生き方を心がけるのは、キリストに愛されているからである。キリストは私たちを愛する故に、私たちの罪の刑罰を身代わりに受けられた。その愛に応えたいという願いが、あえて「主に喜ばれること」を選び取る生き方の原動力なのである。

2.聖徒にふさわしく(3)

キリストを信じる者は罪を悔い改め赦された聖徒。食事前に手を洗ったなら、もう汚さないようにするように、天のみ国の祝福にあずかるよう罪を聖められたのだから、罪で汚されないようにするのは当然。しかし私たちは食事前に何度も手を洗い直すように、すぐ罪で汚れては何度も悔い改める。「話だけ」であっても、罪に心が向かい、神への感謝がなくなる。「誰も知らない」としても、実を結ばない暗闇のわざは時間と心を浪費させ、善意・正義・真実という光の実が結べなくなる。

3. 眠っている人よ。目をさませ(14)

悪い時代に生きる私たちは罪を犯す事が平気になりやすい。悔い改めない人は霊的な死者。キリストを信じて悔い改め、目を覚まそう。罪に負けない為には積極的に主に喜ばれることを自分の喜びとすることが必要。積極的にするべきこととは、感謝する(4,20)、善意・正義・真実(9)、暗闇のわざを明るみに出す(11)、機会を十分に生かす(16)、酒でなく御霊に満たされる(18)、互いに語りあう(19)、賛美する(19)、互いに従う(21)。やることはたくさんある。全部が無理なら、まず一つのことに取り組もう。



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2007年11月11日

國分広士牧師
聖書箇所:エペソ人への手紙 4章25節-32節
宣教題:「赦し」
國分牧師

偽りが横行する世の中。真実を語り正義を行うべきであることは誰もが感じているが、なぜそうすべきかという動機付けに乏しいのがこの社会の弱さ。今日の箇所に示されている、三つの動機を学ぼう。

1.互いにそれぞれのもの(25)

刑罰を恐れるだけでは、隠そうとよけいに偽る。お互いをかしらなるキリストの部分同士と考えよう。団体競技のスポーツで味方同士でだましたり仲間割れしてはチームはガタガタ。敵は人間ではなく悪魔。サタンに踊らされている人も実は味方。仲たがいしていては悪魔に機会を与えてしまう。キリストの勝利を目指し、チームメートであるお互いに真実を尽くそう。

2.聖霊を悲しませるな(30)

貧しい人々に盗んで施す義賊は聖書は認めない。誰かを助けるためというのは罪を犯す言い訳にはならない。人を励ましたいという思いでつい悪いことばを言うこともあるが、相手の心に役立たないなら無意味に傷つけるだけ。良い目的は良い手段で実現させるべきなのだ。チームワークの良さやフェアプレーを監督や観客が喜ぶように、正義と愛を私たちの助け主の聖霊は望まれている。監督である聖霊を悲しませないように、正義と愛に励もう。

3. 赦されたように(32)

お互いを仲間と考える最大の理由はキリスト。キリストは誰のために死なれたのか?すべての人間のためであるはず。まだ信じていない人は無関係とはキリストは思わない。キリストがその命を持って救おうとしてくれた同士なのだから、互いを責めるのでなく赦しあうことがキリストの恩に報いることのはず。しかし罪人の私たちは、赦すより裁くことが多い。あるいは少し赦して恩をきせるずるさもある。キリストは無償で赦してくださった。キリストを思い赦そう。そのとき、私たちは真の平安を得るのだ。



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2007年11月4日

國分広士牧師
聖書箇所:エペソ人への手紙 4章21節-24節
宣教題:「新しい人」
國分牧師

1.古い人

私たちはもともと神のかたちに造られているので、心に愛や聖さがあります。しかし、心に悪い思いが入ると、悪い考えがどんどん心の中にあふれて、罪を犯してしまうのです。私たちはみんな、心の中に聖い部分と悪い部分の両方がある古い人です。このままでは、天国に行くことはできず滅びてしまいます。

2.脱ぎ捨てる

古い人は脱ぎ捨てなくてはなりません。古いものをつぎあわせても、新しくはなりません。脱ぎ捨てるとは、神様に悔い改めることです。自分の罪を認めて、イエス様の十字架で赦していただくことです。

3. 新しい人を着る

脱いだままでは裸です。新しい人を着なくてはなりません。聖書を学んで、良い生き方を身に着けるのです。もともとの「神のかたち」に造りなおしていただくのです。それが一番幸せな心の状態です。
 忘れてはいけないことは、古い人を脱がないままで、その上に新しい人を着ようとしても無駄だということです。まず悔い改めて、その上で、イエス様の教えに聞き従いましょう。



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