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礼拝メッセージ(2007年1月)

今月のみことば
教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。それは健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを正したりすることができるためです。(テトスへの手紙1:9)



2007年1月28日

國分広士牧師
聖書箇所:創世記 1章1節,24-31節
宣教題:「非常に良かった」
國分牧師

1. 世界の造り主

日本古来の神概念と聖書の神概念の大きな違いは、計画的な創造者かどうかという点。確かに世界をよく観察するなら、秩序正しくできており、偶然の産物とは思えない。全てを計画的に創造した方がいると思うなら、世界観が変わる。造った方だけが、直す事ができるはずだからだ。

2. 神のかたちに造られた人間

生命も神が計画された。「種類に従って」という表現は神がすべての生命を計画的に造られたことを示している。DNA研究は生命が情報の固まりである事を明らかにした。偶然からは情報は生まれない。人間の尊厳はたまたま他の生き物より頭がいいという事ではなく、神のかたちに造っていただいたという点にある。たとえ人間同士の間でどんなに劣っている者でも、神は全ての人間をご自分に似ている特別な存在として愛してくださるのだ。

3.非常に良かった

神が造られた世界は非常に良かった。人間自身も恵まれた環境と、それを支配(管理)するという意義ある使命が与えられ幸福であった。しかしそれは過去形。人間が罪を犯すことによって失われた幸いだった。人間は本質的にその幸福な過去へのあこがれを持っている。その幸いを取り戻す事こそ人生の究極的な目標。そこで忘れてはならないのは造り主。造り主にはやり直しもできる。この方に解決の道を示していただくことこそ、まずするべき事。神は私たちを愛するゆえに、み子イエス様の十字架で罪をあがない、やがて作り直される新天新地にイエス様を信じる全ての者を招き入れてくださるのだ。



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2007年1月21日

國分広士牧師
聖書箇所:テトスへの手紙 1章10節-16節
宣教題:「きよい人には全てはきよい」
國分牧師

1. 教会の直面している難しい状況

テトスに長老任命に当たっての厳しい条件を語った背景には、クレテ教会の中に問題人物が多くいるという現実があった。表面的な人物評価では「家々を破壊」する人物を長老に任命してしまうかもしれないし、そのような人々と対峙し教会を正しく導くには相当の力量とすぐれた信仰が必要だからである。

2. 諸問題

「教えてはいけないこと」とは何か。14節には「ユダヤ人の空想話」とある。割礼を受けたユダヤ人だから旧約聖書をよく知っているだろうと単純に信頼すると、聖書の教えではなく、その人が考え出した哲学を聞かされてしまうことがあったのだ。それは結局空想話にすぎない。「真理から離れた人々の戒め」ともある。「戒め」と言われるものが全て信頼できるのではない。戒めを利益のために用いる誤った宗教は世にいくらでもある。誰の戒めなのかを見極めなくてはならない。

3.きよい人々にはすべてがきよい

知性や良心も罪の影響を受けているので、人間は常に自分に都合よく物事を解釈する。問題人物たちも「神を知っている」と主張するが、その人の行いを見るなら本当に正しい信仰なのかどうかがわかる。「きよい人々」とは主イエスを信じ聖霊にきよめられた者。罪を犯しても聖霊に示されるので、結局悔い改めに導かれ、きよい生き方へと進む。正しい教えを語ることのできるよう聖霊にきよめていただこう。



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2007年1月14日

國分広士牧師
聖書箇所:テトスへの手紙 1章5節-9節
宣教題:「みことばを守る」
國分牧師

1. 指導者の条件1

長老・監督とは教会の指導者。その条件はまず倫理的問題がない事。一夫多妻が認められていた時代ですら、複数の女性がいることは問題だった。子どもにも信仰と不品行がないこととが求められたのは、子どもが親の信仰や生き方を受け継ぐべきと評価しているかどうかが問題だからだ。

2. 指導者の条件2

問題がないだけでなく、積極的に良い生き方をしている事が第二の条件。旅人をもてなす・善を愛す等、行いにもすぐれており、能力はあっても慎み深く・自制心を失わない。そのような良い生き方の根本は「みことばを守る」ということ。それには正しいみことばの知識と、それを行う忠実な心と、実行力とが必要。そのような人物こそ、教会のリーダーにふさわしい。

3.任命するという使命

12-13節を見るとクレテ人には真面目な人物は少なかったようだが、だからこそクレテの教会はリーダーがしっかりした人でないと、すぐに世俗的に流されてしまう。そのような人物を見つけ出すのは大変な仕事であっただろうが、どうしても必要な事であった。今日の教会にも「みことばを守る」人物が指導者となることが必要である。それでこそ、励ましや戒めが期待できる。それは神の助けなしには実現しない課題である。神がバアルに口づけしなかった七千人を残しておかれたように(第一列王19:18)、ふさわしい人物は神が整える。私たちは神のみこころを求めて祈ろう。良い人物が見つかること。良い人物が育つこと。私たち自身が良い人物に成長する事を求めよう。



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2007年1月7日

國分広士牧師
聖書箇所:テトスへの手紙 1章1節-4節
宣教題:「信仰によるわが子」
國分牧師

1. 神の選び

1−4節は手紙のあいさつ。その中に、全てを計画し導く神への信仰が、いろいろな言葉で表現されている。1節「神に選ばれた人々」「使徒とされた」、3節「定められた時」「宣教によって明らかにされた」「ゆだねられた」。そして4節の「信仰による真実のわが子」も、血縁ではなく神の選びで親子に匹敵する関係が与えられたと考えていることを語っている。

2. ゆだねられた使命

主権者である神は、ご自分の計画を達成するために、あえて人を用いられる。パウロ自身の使命は2-3節「永遠のいのちに導く宣教」と、1節「信者を真理で導く」こと。神はパウロだけでなく私たちをも用いられるはずだが、パウロのように使命を明確に理解し、使命のために積極的に働くかどうかは、各自の課題である。パウロは自分と同じ信仰で結ばれたテトスにこの使命を語ることで、彼も同じ使命を受けていることを思い起こさせ励まそうとしている。私たちも自分に与えられた使命を考えよう。神は何を望まれているのか。

3.恵みと平安を求める

パウロはテトスに業績をあげさせようとしているのではない。親がわが子の成功以上に幸福を望むように、信仰によるわが子テトスがまず「恵みと平安」を得ることを望む。喜びのない信仰では説得力もない。恵みと平安に満たされてこそ、宣教の拡大も信仰の継承も望める。パウロがテトスを我が子と呼ぶような「愛の関係を築くこと」こそ、私たちの使命ではないか。



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2007年1月1日

國分広士牧師
聖書箇所:詩篇 139篇23節-24節
宣教題:「私を調べてください」
國分牧師









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