

1.燃える柴
主がモーセを引き寄せた。燃え尽きない柴は象徴的に神の偉大さを表す光景だった。自分の罪深い生き方を変えたくないなら、あえて神聖なところには近づかない。モーセには神を求める願いがあった。名が呼ばれたときにもすなおに「はい。ここにおります。」と答える。これはアブラハムの主への答え方。幼いころに教えられた信仰がモーセの心に生きていた。
2.使命
神はイスラエルの痛みを知っていた。彼らのうめき声を聞いていた。イスラエルの痛みはかつてモーセ自身が解決したいと思ったことだった。神は今、解決を与えて下さろうとしている。そのような大いなることを聞けたことはモーセにとって幸いだった。しかし神は単なる傍観者にみこころを明らかにされはしない。主体的に働く者となるからこそご計画を明らかにされた。私たちもとりなしの祈りをするとき、自分も関わる覚悟をもって祈りたい。
3.最高の励ましは神がともにおられること
自分には無理と思うモーセ。神はそれは正しい判断と認めるが、神ご自身がともにおられるので不可能も可能になると励まされた。モーセはこのとき、人生最大の決断が迫られていた。神を信じるということは、神の使命に従うことを意味している。従わないなら、これまで心の奥底で願いつづけていた同胞の解放が実現しない。わたしたちも真に神を信じ従うかどうか決断しなくてはならない。ともに折られる方を信頼しよう。
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1.殺人
モーセはエジプト王女の養子として大人になったが、自分がヘブル人であることは忘れなかった。同胞が奴隷として苦しんでいることには苦痛を感じ、自分が特殊な立場にいることが同胞の助けになりはしないかと思いつめていたのだろう。ほかの人が見ていない場においてヘブル人を助けるためにエジプト人を殺し、死体を砂にうめて隠してしまった。
2.逃亡生活
モーセはここで行動を起こすべきだと思ったが、それは愚かな判断だった。助けられたヘブル人は秘密を守らないし、殺された人の身内も行方を捜索し、すぐに事実は明らかになる。ヘブル人に感謝もされず、王子の立場も失ない、追っ手を逃れて外国で逃亡生活をすることになった。最大の問題は動機である。彼は一方のみを悪者扱いし、自分を正義の味方だと思ったが、自分ひとりでこっそりやろうとしたのだから、実は罪だとわかっていたのだ。神を無視して祈りもせず、愚かな自分の判断だけで行動したことが最大の問題なのである。
3.訓練の時
モーセは王子でなくなった自分はもはや同胞の助けにはなれないみじめな存在だと思っただろうが、神はそう考えていなかった。40年後にイスラエルの民がエジプトを出て荒野を旅するとき、指導者モーセが荒野で羊の群れを養った経験は大いに役立ったのである。彼はこのとき、神の前にへりくだることを学んでいたのである。実はそれこそ大切なことだったのだ。
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1.人のあわれみ
幼子モーセに対する三人の女性のあわれみの心が描かれている。第一は生みの母で三ヶ月かくまい、捨てる時も他人が拾ってくれることを願って防水かごを用意して、おそらくエジプト人が水辺に来やすいポイントに置いた。第二は姉。赤ん坊を誰かが拾ってくれないかと見守り、拾った人には勇気を出して母をうばとして紹介した。第三は王女。自分が見つけた赤ん坊をあわれみ、拾い育てる決意をした。
2.神のあわれみの表現
王女は自分があわれんでその子を助けたと思っただろう。しかし、彼女の計画外の事がいくつもあった。赤ん坊を捨てなければならない事情、沈まないかご、ちょうど発見できる場所、姉の提案等。実は神が全てを計画し導いておられた。あわれみの神は自分の心を代わりに表現する存在として、母や姉や王女を用いられたのだ。
3.恵みの機会となった迫害
迫害のタイミングで生まれてきた男の子は気の毒としか思えないが、実はそれが後の偉大な指導者モーセという人格を育てる恵みの機会になった。モーセは経済的にも保証され、またとがめられる事も無く安全に、しかも生みの母によりイスラエルの子として幼児期を育てられたのである。また、学齢期は、エジプト王家の当時としては世界最高水準の教育をも受けることができた。主の知恵は偉大である。
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1.神よりも人を恐れる王
エジプトの王はイスラエル人の勢力が増大している事を恐れた。それで彼らを弱くする意図を持って苦役を課した。賢くふるまったはずだったが、それは期待した結果を生まなかった。なぜか。真に恐れるべき方である造り主を無視した浅知恵だったからなのだ。
2.王よりも神を恐れる助産婦
真の知恵の無い者は自分の意図がかなわないと怒り、より暴力的な計画に走る。王は権力を用いて助産婦を脅し、男子は死産だったことにせよと命じた。しかし真の神を知っている者は王よりも神を恐れる。「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」マタイ10:28 助産婦は王に責められることを覚悟して、あくまで殺人を避ける。真の神を知らない王は、自分の力の限界を理解できなかった。
3.神を恐れる者への神の報い
助産婦は苦しい言い訳をするので立場が微妙になったはずだが、神は彼女たちを栄えさせた。国家権力の悪に屈しないでしかも栄える実例は私たちに勇気を与える。イスラエルの民に対するこのような具体的な守りは他の面でも多くあったに違いない。そうやって守られてイスラエルは増え強くなった。人間の目には事がどんどん否定的に進むように見えて、実は神は着々とご計画を進め、最後に勝利を得られる。神を恐れる者は幸いなのだ。
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1.拡大
「天幕の場所を広げ」「右と左に増え広がり」といった表現はイスラエルの拡大を表している。主の祝福は元々「生めよふえよ」だから、主に導かれる者の拡大、すなわち教会の土地の拡張も、福音宣教の実としての人的な増加も主の栄光のために願い目指すことは正しい。願わない心理の背後には聖貧へのあこがれだけでなく、怠惰と不信仰が潜んでいるのではないだろうか。
2.成長
場所だけ拡大しても不十分。「住まいの幕を…張りのばし」「子孫は国々を所有」というように成長して強い民になることが重要。私たちも内面的な信仰の成長は心から願っているが、拡大と成長は相互に関連しており、どちらかだけが実現すると言うことではない。拡大を目指す過程が訓練となり、成長につながると考えられる。ならば信仰の成長のためにも拡大を目指そう。
3.浸透
拡大した天幕の綱を支える「鉄のくい」は小さな天幕のための間にあわせのものでは通用しない。深くしっかりと「強固に」打たなくてはならない。「子孫」という表現からも一時的な拡大・成長ではなく恒久的な発展が語られている。そのように拡大成長した子孫が「荒れ果てた町々を人の住む所とする」。すなわち、単に教会の拡大発展と言う自己目的だけでなく、周囲の人々にも益をもたらす地の塩・世の光としての働きがなされる。そして、キリストにこそ救いがある事が人々に示す福音宣教が浸透する。これを私たちは願い目指そう。
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