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礼拝メッセージ(2005年8月)

2005年8月28日

メッセンジャー:國分広士牧師
聖書箇所:創世記 14章1節-24節
宣教題:「天地を造られた方の祝福」
國分牧師

1.ロト救出

ロトはソドムに住んでしまう。豊かな町に定住することによる安定を選んだのだろうが、戦争に巻き込まれ、安定どころか捕虜となってしまう。アブラムはあえて危険を冒して精鋭部隊を率い、夜襲によって敵を破りロトを救出した。この時、神はロトを救い出し、ソドムに住む生き方を改める機会を与えられたのである。誤った道からの回復を主は心から望まれるのである。

2.メルキゼデクの祝福を受ける

シャレムの王メルキゼデクは天地の造り主の祭司。ヘブル7:1-3によると奇跡的な存在。アブラムはメルキゼデクによる主からの祝福のパンとぶどう酒を喜んで受け、彼に1/10を献げた。

3.ソドム王の祝福を拒む

ソドム王はいのちがけで戦って民と財産を取り戻してくれたアブラムに感謝し、財産はアブラムがとり、民は返してもらいたいと提案する。しかし、アブラムは財産も返す。メルキゼデクのパンとぶどう酒の祝福は受け取ったのに、ソドム王からの莫大な財産提供を拒むのはなぜか?彼が欲しかったのは、天地の主からの祝福であって、ソドム王の祝福ではなかったということである。仮にいくらかでもソドム王から自分が得るなら、天地の主からの祝福だけでは足りないという表現になってしまう。「アブラムを富ませたのは私だ。」と言うべきお方は主であってソドム王であってはならない。何を受け取り何を拒むのか。アブラムの模範に習おう。


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2005年8月21日

メッセンジャー:國分広士牧師
聖書箇所:創世記 13章1節-18節
宣教題:「先に選ばせるゆとり」
國分牧師

1.豊かさゆえの悩み

アブラムは裕福だったがその富を守る苦労も尽きなかった。それまで先立った兄弟の子ロトを常に同行させ息子のように面倒をみてきたが、一緒に行動できないほど家畜が多くなった。アブラムの願いは身内同士の争いを避けること。そのためには別行動を取らざるを得ないと決断した。

2.おいのロトに先に選ばさせる

ロトに先に道を選ばせ、自分はその反対に行こうとアブラムは考えた。ロトを愛しており、また、自分はどこに行こうと主が守ってくださると信じていたから余裕があった。しかしロトには世話になったアブラムに選択権をゆずる余裕がなかった。ロトの向かうソドムはやがて滅ぼされる。おじへの恩より自己のチャンスを選んだロトは、実は破滅へと進んでいた。

3.ロトと別れた後に与えられた主の祝福

ロトを見送るアブラムは寂しかっただろう。自分が彼を愛するほどには、彼は自分を考えてくれなかった。しかし主はアブラムに目を注いでおられ、彼のロトへの愛と主への信頼を喜んで下さっていた。主はアブラムにこの地を与えるばかりでなく子孫を豊かに下さると約束して下さった。ロトとの別れは、この時にはさびしくとも、結果論としては後に息子が与えられるのでそれで良かったのである。しかしアブラムはするどい計算で良い結果を割り出したのではなく、真実な生き方をつらぬこうとしたゆえに良い結果へと導かれた。みこころを求めてこそ幸いな道へ導かれるのである。


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2005年8月14日

メッセンジャー:國分広士牧師
聖書箇所:創世記 12章4節-13章1節
宣教題:「成功、失敗、やり直し」
國分牧師

1.信仰をもって従うアブラム

約束の地カナンに入ったアブラムだが、現実は厳しかった。そこには大勢のカナン人がおり、住みやすい土地は彼らで占められていた。先住民の間でたくさんの家畜を養う広い放牧地を見つけるのは大変だっただろう。そのような立場のない状況の中で主のことばを聞いたアブラムは祭壇を築き祈る。一箇所に留まれず移動を繰り返してもそこで祈る。じれずに従順に従うことを選んだのだ。

2.打算に走り失敗するアブラム

しかしききんが起きるとアブラムの心はゆらいだ。このときには信仰ではなく打算で行動し、食料を求めて行けとは言われていないエジプトに行き、しかも身を守るためうそをつく。それでも主の守りの約束は変わらず、彼らは何の危害も受けずにエジプトを出ることができた。

3.やりなおし

再びアブラムはカナンの地にもどり、最初に造った祭壇で祈る。もう一度主に従う決意をしたのだ。挫折を経験したときこそ、原点に戻ることが大切。罪人である自分が神のあわれみで救われた、という原点に返るなら、へりくだって悔い改め、赦していただいて再出発することは当然。そうしてこそ、過去の成功にも意味が出てくる。


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2005年8月7日

メッセンジャー:國分広士牧師
聖書箇所:創世記 11章27節-12章4節
宣教題:「わたしが示す地へ」
國分牧師

1.旅の途上の地カラン

使徒7:2-4を見ると、アブラムにカナンに行くようにと言うお告げがあったのはまず故郷のウルであったことがわかる。アブラムは神の命令に従うため一族を率いてウルから川を遡ってメソポタミヤ地域の最果てカランまで移動したが、小休止のつもりがカランに居着いてしまっていた。

2.主の命令と約束

神はウルで与えた命令を再度与える。その命令には三つの約束が伴う。1-大いなる国民とされる。ということは、まず待ち望んでいた子孫が与えられるということ。2-彼に関わる人々に神も関わる。すなわち彼の友を祝福し彼の敵からは守って下さる。3-彼の行動が全人類に祝福をもたらすことになる。個人・隣人・全人類への祝福という大変な約束だった。

3.約束を信じ命令に従う

神の命令に従うかどうかは日々新たに決断しなくてはならない。アブラムには従いたくても従いにくい理由があった。彼とともにいる人々は大勢だった。ここまでのメソポタミヤ文化圏内の移動と、これからの異文化圏への移住は困難さが違う。年齢的にも若くなく、あえて困難に向かうには時すでに遅しとも思える。また、途中までは従ったという自負心もある。それでもあえて従ったのは相当の覚悟。なぜできたのか?彼は神の命令と祝福のことばすなわち「みことば」を理解していた。そしてその「みことば」に従う事がいつでも最善なのだと信じたのだ。私たちもみことばを聞き、理解し、従おう。


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