> 礼拝メッセージ > 2005年2月

礼拝メッセージ(2005年2月)

2005年2月27日

メッセンジャー:國分広士牧師
聖書箇所:申命記 26章16〜19節
宣教題:「主の聖なる民」
國分牧師

1.主の命令(16節)に従う理由1=従うと約束したから (17節)

天地の造り主である主がご自分のみこころを「おきてと定め」として教えてくださった。これは大変感激するべき光栄であり、イスラエルは御声に従うと断言した。私たちも御声に従うことを約束して「信仰によるアブラハムの子孫(ガラテヤ3:7)」となる。

2.主に従う理由2=主の宝の民だから (18節)

イスラエルは主に選ばれた。物にしても人にしてもその価値を決めるのは主である。主が選ばれた故にイスラエルは「宝」なのである。私たちも主のことばに心をとめるように選ばれている(使徒13:48)。主に愛されている故に主を愛し従う事は当然である。

3.主に従う理由3=主の聖なる民となるため(19節)

「主の選びによる宝」という地位だけでなく、命令を守るなら主は報いとして賛美と名声と栄光を与えてくださり、「聖なる民」となる。選ばれた私たちにとっては、主を愛し、自発的に主に従う事が大切なのである。「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。」(第一ヨハネ5:3)


一覧表に戻る

2005年2月20日

メッセンジャー:高松和代伝道師
聖書箇所:マルコ福音書 4章35〜41節
宣教題:「主がおられる」
高松伝道師

1.主イエスとともに歩む(35-37節)

忙しい一日を過ごした弟子たちは、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われる主イエスのことばに従い舟を出す。彼らには気の進まない言葉。対岸は豚を飼う異邦人の町。一方はあふれるほどに主イエスを必要とする同国民がいる。だが弟子たちは納得のいかないことでも、気の進まないことでも主の言葉に従う。だからといって平穏無事とはならない。従ったゆえに嵐に遭う。

2.こわがる弟子と主イエス (38,39節)

ガリラヤ湖はペテロらには得意の領域。しかし激しい嵐に自信も崩れた。人の経験や力を土台としたもろさ。主はぐっすりと眠っておられる。なぜ主は嵐の中で平安に眠られるのか、理由を知ることが信仰への道となる。恐れからの不信仰な非難でも、主は見捨てず救われる。主が逮捕された時、逃げ出した弟子たちを見捨てられなかったように。

3.大きな恐怖(40,41節)

「大きな恐怖」は神の栄光に触れた驚き(ルカ2:9)。嵐より恐ろしいのは、嵐を一言でしずめられるお方の権威と栄光。イスラエルの民は、海を分けられた神を恐れ信じた。(出エジプト14:10-14、21-31)。従う道にも困難はある。そこで主の栄光が表され、主を知ることによる確かな土台を持つ信仰がはぐくまれる。


一覧表に戻る

2005年2月13日

メッセンジャー:山守博昭牧師(柿生キリスト教会)
聖書箇所:ルカ福音書 15章11〜24節
宣教題:「リボンの騎士からキリストの弟子に」

序:

私は35年前に、手塚治虫という有名な漫画家の下で、アニメーションの仕事をしていました。それが今、牧師をしている。人生の面白さでしょうか。

1.父なる神の愛

親が死ぬと人間関係が変わります。この兄弟の場合、兄の方はおやと共に生活し、弟の方は本来なら死んでから譲り受ける財産を先取りしました。親も子供に対して偏見を持つことがありますが、神は私たち一人ひとりを、最も愛する者として愛しておられます。

2.私の証

私はインスタントラーメンを50個リュックサックに入れて横浜からナホトカに渡たり、旧ソ連、ヨーロッパ、北アフリカを旅しました。しかし、いつも心の中にはむなしさがありました。そんな時「聖書」を読んで「神の愛」の中に生きていることを信じました。

3.回復

私は創造主を信じました。また、父への尊敬を取り戻しました。父は癌で世田谷の国立大蔵病院に入院していましたが、病床で放蕩息子の私から洗礼を受けました。キリストの十字架の愛のおかげです。


一覧表に戻る

2005年2月6日

メッセンジャー:國分広士牧師
聖書箇所:マタイの福音書 5章17〜26節
宣教題:「仲直り」
國分牧師

1.一点一角でも(17-20)

一点とはヘブル語アルファベットの「’」(ヨッド)のような小さな文字。一角とは「?」(レーシュ)と「?」(ダレット)のように角が丸いか角張っているかの差で文字が異なること。そのような些細な部分まですたれず成就する。なぜなら語った主ご自身が力がある真実なお方だから。

2.憎しみは殺人(21-22)

「一点一角まで」精密に律法を実際生活に当てはめれば、殺人は行為だけでなく心こそが問題である(ヨハネ第一3:15)。心にあるものが結局は行為に現れる。心を見られる主にとっては「憎しみ」自体が耐え難くみにくい。いのちは主のもの。いのちを犯すのは主に対する反逆。

3.律法の実践としての仲直り(23-26)

憎しみを悔い改めるなら、具体的にはど
んな行動へと向かうのか。それは「仲直り」。単に自分が他者を憎まないだけでなく、他者に憎まれている場合には、赦していただくことを求める。このへりくだった態度こそ悔い改め。礼拝行為より優先せよと主は語る。先延ばしせず「いっしょに途中にある間に早く」、悔い改めは緊急課題なのだ。


一覧表に戻る