

1.いのちの救いを願う(21-24)
会堂管理者は当時は尊敬される地位だった。しかしヤイロの愛娘が死に瀕したときすべてを忘れて主に身を投げ出す。死が愛する者との断絶なら、生きて長くともに過ごしたいと願う。死が全ての終わりなら、愛する者には生きて喜びを味わって欲しいと願う。しかし死の前に人はあまりにも無力。ヤイロはただ主の力を信じ、ひれ伏す。
2.主に目を注ぐ(35-39)
道の途中でヤイロに娘の死が告げられるが、主は気にかけられない。ただ主を信じ続けるようヤイロを励まされる。家に戻るさらに絶望的な状況。だが信仰は状況に目を奪われないで、約束された方を見つめ続けること。
3.福音のしるし(41-43)
主の語りかけに少女は起き上がる。それは私たちを愛し、生かしそうとされるイエス・キリストの力の現われ。ここまでマルコが記した3つの奇跡、嵐や病から救われた人々の、救いの頂点が復活。どんな閉ざされた状況でも、たとえ死であっても、地上に下られた神、主イエスは私たちを愛し、生かされる喜びと幸いを与えられる。復活はその際たるあかし。どんなに絶望的な状況でも、私たちにいのちを与え、生かしてくださるお方から目を離さないでいよう。
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1.水夫が脱走しようとする危機
船を島まで近寄らせたる操船技術は水夫たちにしかない。パウロは水夫たちの心を見抜いて適切な助言をした。主の守りは約束されていたが、それはただぼんやりしていて実現したのではなく、彼自身の積極的な生き方とともに実現した。
2.囚人を殺そうとする危機
島を目前に船が座礁。囚人の脱走を防ぐために殺そうとする兵士たち。守りの約束と裏腹にどこまでも危機がつきまとう。パウロも殺されそうだったが、百人隊長に守られる。人間の予想をはるかに超えて、実に多くの事柄によって主の語られたことは実現した。
3.そのような危機の中での感謝
船の人々はぎりぎりの状況下で何も食べずに14日も過ごしていた。パウロは人々の体にも元気が必要と考え、一同の前で感謝をして食事をし、みなにも勧めた。人々はパウロの落ち着いた姿に元気付けられ、同様に食べた。翌日には海を泳ぐという激しい運動をすることになるので、ここで食べて体力を回復させたのは正解だった。明日のことは人間には予測できないが、主はご存知。どんな時も主の最善を信じて感謝することこそ、私たちのなすべきことなのだ。
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1.生命の危機
海路ローマに護送されるパウロは、途中危険を警告した(10)が、旅程の遅れもあり、ごく短い距離であったので船は強行出帆。しかし激しい嵐にあい、方向も位置も確認できなくなる。人間の経験と知恵に頼り、自分の都合を優先し、結局主の警告を無視する生き方は実は危うい。
2.神に励まされたパウロ
苦難の中でパウロは主の御使いによって励ましを受けた。主は単に事態を好転させるのではなく、この機会をも用いて主に信頼することを教えられた。ローマであかしすることはすでに以前から約束されていた(23:11)が、再度みことばを聞くことで励まされ信頼が深まった。主の関心は状況の善し悪しよりも信仰の善し悪しなのである。
3.人々を励ましたパウロ
パウロは自分の信仰を自分の内側だけにとどめることはせず、同船する人々を励ました。自分に語られたみことばを本当に信じていたので、彼自身はすでに元気を得ていたからである。少しでも疑いがあるなら、人を励ますほどの元気は出てこない。だからみことばにもっとこだわってよく学ぼう。みことばにより、主を本当に信じるなら、苦難の中でも揺るがずに人々を励ませるほどの元気を主から受けるのだ。
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1.地上で祈るなら
この地上には悲惨な出来事が絶えない。なぜか。「悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。マタイ15:18」すなわち罪人の住む罪の世界だからである。ではこの地上には、何の望みもないのか?そうではない。主はこの地上で祈るという望みを教えられたのである。
2.ふたりが心をひとつにして祈るなら
ロシアの惨劇の中で人質の人々は祈っていたという。祈り方を知らない人は教えてもらったという。おぞましい光景の中で主への祈りを広める人々がいたとは。それは私たちにもできることではないか。罪に満ちた現実の世界の中で、心をあわせて主に祈る人々がいるなら、そこに人々は救いを見いだすのだ。
3.わたしもその中にいる
心をあわせた祈りの場には主がともにいてくださる。天のみ国のすばらしさに私たちはあこがれるが、天の最もすばらしいことは、主がともにいてくださることである。実はそのすばらしさを、二人が心をあわせて祈る祈りの交わりにおいて体験するのである。
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