
1.イエスを支配しようとする人々(20,21)
家に戻られた主イエスのもとに家族たちが連れ戻しにやってきた。主を快く思わない人々の中傷や非難を聞き、心配してのことだろう。身内だから主の行動を治められると考えたが、それは「人が主イエスを支配できる」と思う愚かさ。主を支配するところに幸いはない。支配されることに幸いがある。
2.イエスの支配力(22-30)
主は御わざを悪霊の力とする者に、悪霊のかしらに勝る力ある方であることを示される。人は神に逆らう霊によって捕らえられた弱い者。主イエスは私たちを強い神の霊をもって神のものとし、守り、助けてくださる。それゆえ神の聖霊を拒む者に救いは訪れない。このお方の支配が私たちを救うから。
3.イエスの支配の下にとどまる(31-35)
再び主イエスを支配しようとする家族。そこで主はご自分の権威(支配)を受け入れ、御心を行う者が神の家族となると示される。この「みこころ」は、主がゲッセマネで祈られたこと。私たちには難しいが、聖霊のもとにあるなら従う者とされる。
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1.気が狂っているのか
フェストはパウロに「博学があなたを狂わせている」と言う。フェストは自分の常識を超えることはあくまで拒絶し、パウロの知性は認めても、死んだイエスに出会った経験は信じないのである。しかしそれは、自分を過信して他者を裁く態度でもある。
2.説明が足りないのか
アグリッパはパウロの問いかけを否定できないので「わずかなことばで」とかわした。本当に説明不足ならもっと尋ねるはずなので、これは決断を避ける言い訳にすぎない。いくら学んでも学び尽くすということはない。神に信仰の決断のチャンスが与えられたのなら、その時をむだにしてはならない。(伝道者の書12:1)
3.自分と同じ救いを受けることを願う
パウロは自分を「狂っている」と言ったり、かわして逃げようとする人々をうらんだり呪ったりせず、「みな」救われることを願った。なぜか。彼らも主に愛されているからである。そして、人間的にはパウロが「救われるべき被告」と見えたが、主の目には救われるべきは裁いている彼らの方だったからである。
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1.カイザルへの上訴
総督がペリクスからフェストに代わり再び裁判となった。ユダヤ人たちの告訴は証拠がなかったが、フェストもまたユダヤ人の歓心を買おうとして、陰謀が待っているエルサレムでの裁判を提案した。長期化を避けて、パウロは皇帝への上訴を選択した。
2.見当がつかない
フェストは情報としては論争の焦点がイエスの復活であり、ローマ法で裁く事柄でないことは理解していた。しかしユダヤ人の歓心も買いたいし、かといって総督として非常識な裁判にはしたくない彼にとっては、どう裁けば自分に有利になるのか見当がつかない。どっちつかずの心は主に嫌われる。(参:黙3:15-16)。
3.聞いてみたい話
アグリッパは12章のヘロデ王の子でユダヤ教に詳しかったので、フェストは彼にアドバイスを求めた。アグリッパもパウロに関心をもち、彼の話を聞いてみたいと申し出た。アグリッパがどんな関心を持ったかは定かではないが、彼らが福音を聞くチャンスを主が与えられたことは確かである。主は愛に満ちた不思議なみわざを行うお方である。いつ宣教に用いられてもいいように備えよう。
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1.裁判の延期
ペリクスはパウロの裁判を開くが結論を先延ばしにし、裁判は2年間も延期してしまう。パウロの命は守られているが行動の自由は制限されており、無意味に思える時間が経過していた。
2.ペリクスの恐れと下心と打算
ペリクスが先延ばしにしていたのは千人隊長の証言を要するというのが表向きの理由だったが、実際は恐れと下心と打算が働いたからである。彼は「正義、節制、神の審判」といった事柄には恐れを感じて話を聞きたがらなかった。釈放を餌に賄賂もほしかった。パウロに敵対するユダヤ人の関心も引きたかった。自分に都合よく事を運ばせようとすると、時間ばかりが空費されてしまうのである。
3.福音を伝える機会
無駄に思える時間にも意味はあった。パウロはペリクスとユダヤ人の妻ドルシラに幾度も福音を語ることができた。それで彼らが救われたのではないが、主は自分勝手で心がかたくなな者にさえ、救われる機会を十分に与えてくださることを教えられる。私たちは時間の空費に耐え難い苦痛を感じるが、主にとっては意味のある時間だということをわきまえて、全ての結果を主にゆだねる信仰を持とう。(ローマ8:28)
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1.生まれる前から守られていた
もしパウロがローマ市民でなければ、裁判も行われずに放置されてしまったかもしれない。彼が生まれる前からローマ市民権を与えられていたことは、この時に備えての主の摂理のみわざ。主は生まれる前から守っていてくださる。(イザヤ46:3)
2.過去の経験による守り
パリサイ人は欺瞞があったとしても、基本的に旧約聖書に忠実であろうとする運動であった。パウロは主イエスを信じてからもパリサイ人のよい面は保持した。裁判の場ではかつての仲間パリサイ人たちに主を伝えようと共通する信仰のポイントの「死者の復活」という問題提起をした。これが功を奏してパリサイ人が味方になった。
3.あらゆるものを用いて守られる
パウロを殺そうとする陰謀は情報が漏れパウロは官憲に守られて総督の元に護送される。その守りの堅いこと!(23節)。パウロは王のように大部隊に守られ馬に乗って行進した。主が守るならどんな絶体絶命の時にも守られる。大切なのは、どこまでも主を信じて委ねる信仰である。
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