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礼拝メッセージ(2004年6月)

2004年6月27日

メッセンジャー:國分広士牧師
聖書箇所:使徒の働き 20章36節-21章17節
宣教題:「兄弟愛」
國分牧師

1.湖畔に集まる人々

ひざまずいて祈るのは、特にナイーブな心情を祈る時にみられる行動。主イエスのゲッセマネの園での祈り(ルカ22:41)、ペテロがタビタを生き返らせた時(使徒9:5)
別れを惜しむ熱い思いがパウロたちをひざまずかせたのだろう。そこには主にある真実な兄弟愛が見られる。私たちも信仰の友と共に心を注ぎだして祈ろう。

2.見送り(20:38,21:5)

エペソの長老たちは抱擁して泣き、ツロの弟子たちは家族まで同行して見送った。「見送り」には、別れ別れでいたくないないという家族的な愛が感じられる。主の弟子たちは互いに「兄弟」なのである(21:7,17)。わたしたちも「主にある家族」を目指そう。

3.感情に流されず主のみこころに従う(20:38,21:4,11-14)

パウロは殉教を恐れずエルサレムへと向かう。他の弟子たちは愛するからこそパウロの身を案じ避けさせようとした。しかしパウロは厳しくいさめ(13)、兄弟たちも無理強いせず主に委ねた(14)。感情はしばしば人間を重んじるあまりに主を軽んじさせる。主を第一にする兄弟愛を目指そう。


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2004年6月20日

メッセンジャー:高松和代伝道師
聖書箇所:マルコの福音書 3章7-12節
宣教題:「湖畔の主イエス」
高松伝道師

1.湖畔に集まる人々

安息日問題でユダヤ人たちとの対立が明らかになった主はガリラヤ湖に退かれる。イザヤ(9:1)が預言した海沿いの道で、古い教えを後にして、闇から光へと招く福音を告げ知らされる。そこに集められた人々はあたかもダビデの子、ソロモンの時代の王国のようにさまざまな人が来る。新しい神の国の始まりである。

2.主イエスに押し寄せる人々

いやしを求めて集められた人々はあまりに多く、主は押しつぶされそうになる。ここにも十字架が見える。主はこの群集の病いを負い、咎を負って、十字架にかけられた。6節の指導者たちの陰謀もこの群衆の存在なくして実現しない。「23 あなたがたは…十字架につけて殺しました。(使徒2:22、3)」

3.神の子イエス:サタンの誘惑の声

サタンは荒野において「あなたが神の子なら」と誘惑した。この後ペテロが「生ける神の御子」と告白したときも、主の十字架への道をとどめようとしたペテロを「サタン」と主はいさめられた。サタンが「神の子」の道を妨げるので、主は沈黙を命じられる。「神の子」は神との密接な関係を示す言葉だが、ローマの皇帝が用いたように自分の栄誉のためでなく、神に従うために用いられるべき。私たちも十字架の道を進んでくださった主イエスによって神の子とされた。どのように生きるべきか、問われている。


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2004年6月13日

メッセンジャー:國分広士牧師
聖書箇所:使徒の働き 20章32-35節
宣教題:「受けるよりも与えるほうが幸い」
國分牧師

1.むさぼらない (33)

多くの宗教は「受ける」ことを約束する。多くのものを受けるのは幸いだが、受けることを過剰に求めるのは「むさぼり」である。自分の意識が与えることよりも受けることに傾いているなら、実はむさぼっている。それは偶像崇拝の罪なのである(コロサイ3:5)。

2.労苦の意味 (34-35)

パウロは自分と弱者の必要を満たすために労苦することを幸いと考えた。神から両手を受けたのはそのためだった。与えるために受けた手なら、その手を用いて労苦することによって自分自身の存在の意義を確認でき、主も弱者も自分も、皆喜ぶことができる。

3.与える幸い (35)

主イエスは「与えなさい(ルカ6:38)」と教えた。それは「天の父があわれみ深い(36)ことを基とする信仰である。与えた相手からの見返りではなく主ご自身からの祝福こそ、本当に期待するべきものである。パウロは主から受けたいのちを、主から受けた使命を果たすために用いることが最も幸いな道だと思っていた。だから彼には悲壮感がなく、心に感謝が満ちていたのである。


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2004年6月6日

メッセンジャー:國分広士牧師
聖書箇所:使徒の働き 20章25-32節
宣教題:「みことばにゆだねる」
國分牧師

1.御国の宣教 (25-27)

神のご計画全体を余すところなく知らせるのは、決して簡単ではない。時間もかかるし労力も要する。また伝える側と学ぶ側の意志が合う必要がある。それでもパウロが非常な努力を傾けて御国の宣教を進めたのは、困難が予想されたからである。

2.引予想される困難 (28-30)

エペソの牧会には外部から狼のような異端が侵入したり、内部からも権力闘争のために異端が生じるといった困難が予想された。そこでパウロは監督たちに彼ら自身が高慢に陥らないように、また問題が群の中に起きないように気を配ることを命じた。

3.みことばにゆだねる (31,32)

予想される困難に対して対処しうることはみことばの宣教だった。今後はパウロが直接彼らを導くことはできない。あとは神とすでに語った恵みにみことばにゆだねるだけだった。しかし実は彼らを育成し、御国を継がせることができるみことばにゆだねることこそ、最も賢明な道だった。わたしたちも信仰を持ってみことばを伝えよう。


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