
1. 安息日の殺意(1-2,6)
多くのユダヤ人にとって安息日の遵守は割礼と同様に行いによる義の道だった。だから安息日の言い伝えをないがしろにする主イエスは、彼らのよりどころを破壊する者となる。そのため主は訴えられ、十字架にかけられる(12:13,15:3,4)。ねたみや悪意、高ぶりなど罪を隠して、自分を正しく見せようとする者たちが、主を十字架にかけた。
2.引き出された人(3-5)
主は人の隠れた思いを引き出すために手の萎えた人を呼び出して、何が正しいか問いかけられる。しかし彼らの心はかたくなで答えない。手の萎えた人が主に答えて自分を主の前に出したように、彼らも主のことばに心を開くなら、罪にねじ曲がった心も回復されただろう。主は御怒りを覚えられるがすぐに深いあわれみに変わる(イザヤ51:19,20)。そして罪人に、赦しと新しい心を与えるため、十字架の道を進まれる。
3.安息日の回復
かたくなな心の解決は2コリント3:14-18にある。私たちも主に向かい、聖霊によって石の心を変えて(エゼキエル36:25-27)いただこう。安息日は聖霊の臨在を新しく覚えさせていただく日としたい。
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1.神の国を待ち望んだニコデモと神の国に入るための条件
ユダヤ人の指導者であり律法学者のニコデモは人間的に見るなら、神の国に真っ先に入ることのできる資格を持っていた人物でした。しかし主イエスは、そのニコデモさえ、彼自身の力では神の国に入ることはできないと言われたのです。
2.神の国に入るために神がなしてくださったこと
人間の努力によっては誰ひとり神の国に入ることはできません。人は新しく生まれることによってのみ神の国に入ることができるのです。人が新しく生まれるために神さまがなしてくださった驚くべきみわざ、それがイエス・キリストの十字架です。
3.永遠のいのちを得るために私たちがなすべきこと。
キリストにあって新しく生まれ、永遠のいのちをもつために神が私たちに求められていることとは……。
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1.エペソの長老たちを呼び寄せる(13-17節)
急ぎ旅の途中、パウロはエペソ教会に立ち寄る時間がとれないため、せめてエペソ教会の長老たちを励まそうと呼び寄せた。使いを送るのも長老たちに来てもらうのも非常に面倒をかけることなのだが、会って励ますことはそれだけの価値があると考えていた。
2.宣教内容の確認 (18-21節)
パウロはエペソの長老たちを励ますのに、新しいことではなく、すでに語った福音を確認した。新しい教えはそれを理解消化することに集中するので、ある意味で古い教えにとどまり続けることよりも楽である。しかし新しい教えを追うだけなら、確固たるものは何もない。信仰にとどまることこそ励ますべきことなのである。
3.いのちより大切なこと(22-24節)
パウロ自身が語った福音によるならば、地上の命よりも永遠のいのちはより大切なものである。だから、福音を伝える任務は地上のいのちより優る。それで苦しみが待っていると分かっていてもあえてエルサレムに向かう。そしてその自分の足跡に習うことをエペソの人々にも期待する。なぜなら、エペソ人たちが、主の福音は、いのちより大切なことだと、本気で信じて欲しいからである。
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1.兄弟たちを励ます旅(1-6節)
パウロは以前に行った地を再訪問して兄弟たちを励ます。まずエペソの兄弟たちを励まし(1)てから旅立ち、マケドニア地方の兄弟たちを励ましながら歩く(2)。この間にコリント第二の手紙を書き、ギリシャに行くまでにおそらく1年以上かけていた。ギリシャでの主な滞在地はコリント。ここでローマ人への手紙を書いたようだ。実際に合っても手紙ででも、パウロはいつも兄弟たちを励ましていた。
2.励ましのことば (7-11節)
トロアスでのできごとからパウロの旅の様子がわかる。パウロは人々と語り合った(7)。明け方まで長く話し合った(11)。会話だけでなく長い説教もした(7)。それは励ましのためだった。話す方も聞く方も、なんと熱意を持ってみことばに取り組んでいたことか。彼らは主ご自身からの励ましを得たいと願っていたのだ。
3.励ましのわざ(10-12節)
パウロの説教中に青年ユテコが転落するという事故がおきた。パウロは彼をいやし、人々は慰められた。ユテコ自身は迷惑をかけてしまったが、主はその災いをも励ましのために用いられた。主はご自身を慕い求める者を励ましてくださるのである。
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1.次の使命の準備(21-22節)
エペソでの宣教活動が軌道に乗り、パウロは次の使命に向かい始める。人間的に考えれば性急に思えるが、パウロは「御霊の示し」で判断していたのであり、肉的な焦りではなかった。焦りではないので、二人の弟子を先に派遣するというゆとりもあった。
2.騒動の理由 (23-29節)
突然、予想もしなかった騒動が起きる。銀細工人たちが「手で作った物など神ではない」というパウロのことばを攻撃と捉えたのである。銀細工人は「お金」の故に叫び、人々はナショナリズムで叫ぶ。
これらはしばしばサタンに利用される。サタンは福音から人々の心を引き離すために、他の価値観を誇張し、人々の正義感を利用して福音に立ち向かわせるのである。実はそれは戦うべき相手ではない。
3.主の守り(30-41節)
パウロは弁明しようとしたが、弟子たちにとどめられた。騒ぎは結局、当局によって沈静化された。主を知らない当局者も主はみごとに用いられるのである。(参:ローマ13:1-7)
パウロが無駄な摩擦に巻き込まれなかったのは主の守りだった。このようにして、御霊の示されたことは実現していく。主のみ手を信頼しよう。
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