
1. マルタの心の変化(38-40)
マルタは喜んでイエスを家にお迎えし、懸命にもてなす。しかし一方で当時の慣習にはよらないで、ただみことばに聞き入っていた妹マリヤの姿を見て、自分だけが忙しくしていることに気が落ち着かなくなる。
2.マリヤの「よい方」の選択(41-42)
主は、ご自信の足もとにすわって、みことばに聞き入っていたマリヤの選択の方を良しとされる。そしてマルタに対し、どうしても必要なことが何であるのかを優しく諭される。
3.永遠のいのちを受けるために
41,42節のみ言葉は、ルカ10:25の「永遠のいのちを受けるために何をすべきか」に対する回答でもある。そして「いろいろなこと」に心奪われることなく、どうしても必要なことを選び取るように、すなわちみことばの傾聴者であるようにという主からのメッセージである。
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1.パウロはコリント教会を憂いて競技する者の姿から教えた(24-25)
パウロは、争いや異邦人の中にもないほどの不品行が教会の中にあることを聞いて手紙を送った。この箇所で、競技場で競争や闘技をする者たちが賞を目指して日頃の生活を整えるように、キリスト者も朽ちない冠を受けるものとして、目標を定めた信仰生活を送るように勧めている。
2.キリスト者に約束された朽ちない冠
主イエスを信じて救われた者は、主の御国を相続する神の民とされ、主イエスの来臨と共に、朽ちないものを着、いのちの冠を受ける約束を頂いている。
3.パウロの姿勢と証しの働き(26-27)
パウロは、自分自身を福音の外に置いて論争を引き起こす者としてではなく、福音の中に生き、自分の肉を従わせようとつとめている者であると明言した。私たちも、主イエスが来られる時まで御国の福音を宣べ伝えつつ、朽ちない冠を受けるという大切な目標に向けて信仰生活を整えよう。そして福音の中に生きる私たちの姿勢が、人々の証しとして用いられるように主に期待しよう。
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1.断食に関する問い(18)
パリサイ人とヨハネの弟子たちは主が罪人達と飲み食い している様子を見て詰め寄った。彼らは断食こそ悔い改めにふさわしいと考えた。
律法に定められた断食は「贖いの日」の年に一回(レビ16:29-30)だが、この頃は他に年4回、エルサレム神殿破壊を覚えて行われていた。
パリサイ人はさらに週2回の断食をして神の国の再建を期待した。しかしそれはしばしば、ただの個人的な宗教的熱心の誇示になっていた。
2.喜びと新しさに関するたとえ(19-22)
主は花婿のたとえによってこの問いに答え られる。
婚姻の宴に断食はふさわしくない。預言では、花婿が来られることは罪が赦 されることであり、新しい神の国の訪れを意味する(イザヤ54:4,5,62:4,5)。
主によって神の国が実現した今は、断食ではなく喜びの時。
また布と革袋のたとえで古い律法の時代の終わりを告げられた。
3.キリストによってもたらされた新しさ
20節の「取り去られる」はイザヤ53:8にある。
新しさと喜びは十字架によってもたらされる。
十字架の主を信じた者は新しいいのちを受け取り、主とともにある喜びを受ける。
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1.宣教に用いられる器
ここで有能な宣教者アポロが登場する。私たちには意外な出現に思えるが、パウロの場合がそうだったように、神は必要なら石ころからでもアブラハムの子孫を起こすのである(マタイ3:9)。アポロはバプテスマの知識が不十分だったので、キリスト者の交わりには入っていなかったようだ。しかし、主の道の教えを受け、もともと持っていた旧約聖書の深い知識によってイエスがキリストであることを理解した。そして、彼自身の自発的な行動として、主イエスを伝えていたのである。
2.フォローに用いられる器
プリスキラとアクラはパウロとの交わりの中で正確な知識を得たのだろう。しかしその知識も正しく用いなければ意味がない。彼らはアポロの宣教に欠けを見つけたが、皆の前ではけちをつけず、個人的に招いて正確な知識を伝えた。派手な伝道者ではないが、大切なフォローをする器をも、主はきちんと用意されていたのである。「神の道の正しい知識」が伝えられるように、主ご自身がみわざをなさっておられる。私たちもみわざのために用いられることを願おう。
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