中野島キリスト教会
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礼拝メッセージ(2004年1月)

2004年1月25日
メッセンジャー:國分広士牧師
聖書箇所:使徒の働き17章3-14節
宣教題:「試練の中での恵み」
1. テサロニケでの試練
パウロたちがテサロニケにやって来たのは、ピリピで迫害されたことが直接の理由だった。彼らは恐れずに福音を伝えるが、ここでも迫害にあう。ユダヤ人会堂の中から主に従う人々が起こされたことをねたまれたのだ。議論で勝てない反対者は暴力にうったえた。
2. ベレヤでの試練
ベレヤに逃れたパウロたちはすぐにベレヤ宣教を始める。ベレヤのユダヤ人は聖書に基づいて考える正しい信仰の姿勢を持っていたので、主イエスを信じる人々が多く起こされた。にもかかわらず、テサロニケのユダヤ人たちによって再度の迫害を受けてしまう。
3. 試練の中での恵み
ピリピ→テサロニケ→ベレヤ→アテネと目まぐるしく移動したのは迫害の故であった。迫害されなければもっと長く滞在したはずだが、その場合は行けなかった所もあっただろう。多くの地に福音を伝えられたことは教会にとって恵みである。また、それぞれの地で救いを求めていた人々にとっても恵みであり、パウロ自身にとっても試練の中で主に従う経験をさせていただいたことは実に大きな恵みであった。

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2004年1月18日
メッセンジャー:國分広士牧師
聖書箇所:使徒の働き 16章35節-17章2節
宣教題:「いつものように」
1. 簡単なことではない
「いつもしているように」(17:2)というのは実は簡単ではない。彼らはすぐ前に無実の罪で取り調べなしの逮捕・むち打ち投獄という仕打ちを受けた。そのような経験の後に平常心で歩むことは難しい。パウロが優れた人なので、つらく感じないのか。長官たちに抗議する様子からは、そうは思えない。ではなぜいつものように語れたのか?
2. 福音への思いの故
パウロたちは釈放後、すぐに兄弟たちを励ます。いたわられるはずの場で、むしろ励ますところにパウロたちの心が現れている。どんなことよりも福音を伝えることに関心があったのである。だから、彼らの宣教で救われた人々が彼らの事件の故に動揺しないようにと励ますのである。長官への抗議も、キリスト者の名誉を守るという意識で行なったのだろう。次の場所での宣教をに対しても、苦労やつらさを思うより、福音を伝えたいという願い、伝えられるという喜びの方が勝っていた。だから、あの厳しい経験をも乗り越えられた。
3. 私たちの関心
私たちも心にはどんな願いがあるのかが生き方に表れる。主にあって良い願いを持つなら、積極的で安定した生き方に結びつく。

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2004年1月11日
メッセンジャー:高松和代伝道師
聖書箇所:マルコの福音書 2章1-12節
宣教題:「いやしと赦し」
1. 5人の信仰(1-4)
数日後、熱狂がさめた頃、主イエスはこっそり帰ってこられた。しかしすぐに在宅の噂を聞きつけた大勢の群衆に取り囲まれる。中風の人と4人の友人も噂を聞き駆けつけたが主に近づけない。そこで屋根に穴をあけて病人をつり降ろす。やむにやまれる行動に主への期待が表される。彼らの信仰は主への期待。中風の人自身の信仰は12節で、疑わず、ためらわないで歩み出す行動として現されている。
2. 罪の赦しの宣告と批判(5-9)
主イエスは中風の人に「子よ」と呼びかけ、罪の赦しを宣告される。主は隠されていることも、また人が自覚している以上に必要を知っておられる。神の御思いは人の思いより高い。期待以上に必要を与えられる。主は彼を慈しみ、神の家族に迎えられる。それに批判の目を向ける人たち。彼らもまたいやしを必要としている。
3. 「人の子」の権威(10-12)
主は政治的意味合いを持つ呼び名を避け、弱さや愚かさの意味を持つ「人の子」を用いられる。それは人の弱さを担い身代わりとなって救いをもたらすお方の称号として後に明らかにされる。

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2004年1月4日
メッセンジャー:國分広士牧師
聖書箇所:マタイの福音書 19章27-29節
宣教題:「主の名のために」
1. 主の名のために捨てる
この主のことばは、「天に宝を積むよりも地上の富を優先した金持ちの青年(21-22)」のことを思いつつ尋ねたペテロに応じて語られた。
「主の名のため」なら、本来は捨てるべきでない大切なものも捨てなくてはならないことがある。ペテロ達は欠けの多い弟子だったが、主に従うために舟も網も捨てていたことを見落としてはならない。主の名のために捨てることは主にささげることなのである。
2. 主の報いへの期待
ペテロは「何がいただけるのか」とあえて尋ねた。それはずうずうしいからというより、真剣に主に期待したからだろう。20:21以下には主に特別な祝福を求めて退けられるケースがあるが、ペテロとの違いは報いを自分で決めて要求していることである。何を与えてくださるのかも主に期待するべきなのである。
3. 主の報い
主はご自分の名のための犠牲には祝福を約束された。その報いは地上でも(ルカ18:28-30参照)天においても与えられる。主の恵み深さを信じて、犠牲を惜しまずにささげよう。(マラキ3:10参照)

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